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暇なら見てください

恐らくぼくはポエマーかもしれない

深く考えたのですが、ぼくはポエマーかもしれません

この世のことや様々な事象についての解像度が浅いため、穴だらけの理解を埋めるために、その穴におさまってくれるような言葉を探してはピックアップしていくも、それは言葉遊びにしか過ぎず、最終的にポエマーに行き着くのではないか

実際にどうぶつ占いでも同様の結果が出ており、都民のおよそ60%がこの結果を信頼できると答えています

つまり、ポエマーの言葉には中身がありません

しかし、同じカテゴリーに位置していそうな天気予報は、ポエマーとは決定的に違います

それはなぜか

天気予報は予言だからです

天気予報士はポエマーではなく、前世では予言者または神官だったと考えられています

古代の神官たちは、予言を外すと袋叩きにされて川に捨てられていました

つまり、死と隣合わせの過酷な運命を背負っていました

なので、通常の神経をしていれば、次の人生でまた予言者の役目を引き受けようとは思わないはずです

しかし、予言者たちは、人々に未来を告げることこそが自分たちの使命だと知っているため、現代に生まれると天気予報士になります

天気予報士の資格取得者が毎年登場するのは、予言者たちがどんどん転生してくるからです

もし予言者たちが転生していないならば、天気予報士は増えないのだから

ぼくが現世で天気予報士になっていないのは、前世で予言者や神官ではなかったからです

つまり、天気予報士の言葉には常に中身があり、ポエマーの言葉には中身がありません

したがって、会話や議論をしても話が噛み合わない、成立しないことがあるのは、片方か両方ともがポエマーの可能性があるからです

つまり、戦争をなくすためには、LOVE&PEACEではなくポエマーへの対策が必要だということになります

これが論理的思考の力です

出発点が違えば行き着く先も違うということがよく分かったと思います

これからの時代には、論理的思考力ではなく出発点力とでもいうべき能力が求められます

このことを決して忘れないでください